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イスタンブールでイスラムの美に酔う 1500年以上の繁栄、東西の交差点で放つ美しさへのため息

 小野 正惠
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アジアと欧州にまたがる都市イスタンブールは、1985年「イスタンブールの歴史地区」として世界遺産に登録された。登録の対象となった旧市街には、古代ローマ、ビザンティン帝国、オスマン帝国と世界史に名を連ねる強国の残影が密集している。ビザンティウム、コンスタンティノープル、イスタンブールと名前を変えながら、1500年以上にわたる繁栄を続けた町。その栄華の証を訪ねる旅は、美しさへのため息を数える旅でもある。 [冒頭写真:土屋明]

ローマ皇帝たちの置き土産

南にマルマラ海、東にボスポラス海峡、北に金角湾と、3方を海に囲まれたイスタンブールの旧市街。旅の第一歩は、これから歩く町を俯瞰(ふかん)することから始めるのが一番だ。サバを焼く煙が立ち上る中、ガラタ橋を渡たり、新市街にあるガラタ塔を目指す。上階まで登り詰めると、うねる丘にモスクのドーム屋根やミナレット(光塔)が林立する旧市街が見える。

立っている場所はアジアの最西端。日暮れが近くと、モスクをシルエットにして、夕日は欧州に沈んでいく。雄大な夕景の美。それを見ていると、アジアと欧州をともに征服しようとした皇帝やスルタンたちの夢が理解できる気がしてくる。「見えるものすべてを手にしたい」という夢が。

この町には2000近い数のモスクがあるという [写真:土屋明]

ここでは、歴史の時間軸に沿って歩いてみよう。最初に目指すのは、旧市街の中心部にほど近い「ヒポドゥローム」だ。203年にセプティミウス・セヴェルス帝(カラカラ帝の父)が着工し、4世紀初め、コンスタンティヌス帝の時代に完成した競技場の跡である。長さ約410m、幅約145mのU字型の競技場は、10万人を収容したという。

330年5月11日、歴史的大イベントが行われた。コンスタンティヌス帝がローマからこの地に遷都したことを宣言する式典が開催されたのだ。しばし目をつむってみる。大歓声が沸き起こり、盛大であったろう式典が目に浮かぶ。そしてこの時、町の名はビザンティウムからコンスタンティノープルへと変わった。

競技場はもうないが、かつてのトラックの中央部分は現在、市民の憩いの場であるスルタン・アフメト広場になっており、競技場があったことを示す3つのモニュメントが立っている。

最も北にあるのがヒエログリフが刻まれた「テオドシウス1世のオベリスク」。紀元前1500年頃に古代エジプトのトトメス3世がルクソールにあるカルナク神殿のために建立したものを390年頃に移築した。中央には、上部が欠けた青銅製の「蛇の柱」。ギリシャのデルフィにあるアポロ神殿から移築したものだ。南には石積みの「コンスタンティヌス7世のオベリスク」。古代ローマの力を感じられる一角である。

高さが25.6mのテオドシウス1世のオベリスク

ブルー・モスクとアヤ・ソフィアに囲まれたこの広大な広場は、春には花壇に花が咲き誇り、夜は噴水がライトアップされる。誰もが酔いしれる魅惑の空間となる。

3つのモニュメントはこの背後にある。正面はアヤ・ソフィア

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