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密林で神々と出会う、アンコール遺跡の旅 世界遺産とは何かが見えてくるアジアの至宝

 小野 正惠
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日本からも近く、多くの人を魅了するカンボジアの世界文化遺産「アンコール」。アクセスタウンのシェムリアップ周辺に点在する大小700もの石造建築物は、9世紀から約600年続いたアンコール朝時代の栄華を今に伝える遺跡だ。時に急勾配の石段を登り、時に亜熱帯のジャングルをかき分け、時にこけむした倒石の上を飛びこえながら巡る、アンコール遺跡の旅。それは神々との遭遇、ほほ笑みとの出会いの旅でもある。2回にわたり、アンコールと周辺の世界遺産を紹介しよう。(冒頭写真:photolibrary)

世界遺産の役割を象徴するアンコールの遺跡群

アンコールの遺跡へは、日本からはベトナムのハノイやホーチミン、あるいはタイのバンコク経由でカンボジアのシェムリアップを目指すのが便利だ。それぞれの乗り継ぎ地からシェムリアップまでは、飛行機で1時間~1時間40分。延々と続く平原の先に、海と見まがうほど広大なトンレサップ湖が見え始めると、シェムリアップは近い。

空港からシェムリアップの中心部までは、車で10~15分ほど。ジャングルの中の遺跡というイメージが強かったせいか、シェムリアップの町のにぎやかさには驚かされる。しかし聞けば、遺跡周辺はわずか20年前まで地雷の海だったというではないか。フランス領時代を経て1953年にカンボジア王国として独立したものの、70年頃から内戦が勃発。世界遺産に登録された92年、周辺ではまだ銃の音が鳴り響き、内戦の爪痕がそこここに残っていたともいう。

わずか20年で驚異的な復興を遂げたカギは、まず世界遺産に登録されたこと。それと同時に危機遺産にも登録されたことだった。そもそも世界遺産とは、人類と地球の宝を守っていこうというもの。その発端はエジプトでの出来事だった。アスワンハイダム建設の影響で、水没する運命にあったアブ・シンベル大神殿を救おうという運動から始まったのだ。ユネスコの呼びかけで50カ国が協力し合い、アブ・シンベル大神殿を1万6000ものブロックに解体、移設した結果、ダム建設で水位が上がったナイル川への水没を免れた。

60年のこの動きを機に、ユネスコの世界遺産条約が採択にいたったのだ。この経緯からも分かるように、世界遺産には、危機に瀕する遺産を世界中の人々の力で守っていこうという大義がある。その登録と同時に危機遺産にもなったアンコールに対して、世界は一気に動いた。

クメール美術の壮麗な美しさを密林に封じ込めながら、内戦で朽ち果てたままの遺跡を修復すべく、日本をはじめ、イタリア、ドイツ、インド、中国など30カ国が立ち上がったのである。くしくも日本が世界遺産条約を締約した年にアンコールが世界遺産に登録されたのだが、2年後の94年には日本国政府アンコール遺跡救済チームを組織し、研究者を送り込んだ。実に迅速だった。そして世界中の協力の下、復興は急ピッチで進み、2004年には見事、危機遺産リストから削除された。

池に映る姿さえも美しい寺院、アンコール・ワット

当初から日本国政府の救済チームのメンバーとして修復に携わった人々は、異口同音に言う。「あの当時は、常に地雷を心配しなければ歩けなかった」と。それが20年後の今、観光客が100%安心して歩ける遺跡となっている。世界中から集まりこの遺跡の保護に従事してきた研究者や地元の人々に感謝せずに、この遺跡は歩けない。

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