バックナンバー

世界遺産、アンコールからプレアヴィヒアへ 神秘に包まれたアンコール王朝の栄華を訪ねて

 小野 正惠
  • このエントリーをはてなブックマークに追加 はてな
アンコール周辺の世界遺産の旅。後編は、最大の都城アンコール・トムをスタートに、周辺を散策。ラストはカンボジアのもう1つの世界遺産、プレアヴィヒアまで足を伸ばしてみよう。タイ国境にあるプレアヴィヒアは、一時、国境問題で治安が不安定だったが、現在は安全地帯。アンコールとはまた異なる眺望が待つ。

王朝最大の都城、アンコール・トムの絢爛

1辺が約3km四方のほぼ正方形をした都城アンコール・トム。メーンゲートになっている南大門へは、幅113mの環濠を渡る。その橋の欄干は、ナーガ(蛇)と巨像の列でできている。神の世界と人間の世界を結ぶ「虹」を象徴するナーガの胴体を使って、正面の南大門に向かって左ではデヴァター(女神)、右ではアスラ(阿修羅)の巨像が綱引きをしているシーンだという。

その設定もさることながら、驚くのは、正面の南大門にバイクやトラック、小型バスまでもが次々に吸いこまれていくことだ。ただ積み上げただけの石の下を、振動を伴って車が通る。それでも崩れることのない建築技術にいきなり驚かされる。

両側にはナーガで綱引きをするデヴァターとアスラ。南大門に人も車も吸いこまれていく

南大門の下部には、3つの頭の象があしらわれている

アンコール・トムとは「大きな都市」の意。これまで紹介してきた遺跡の多くが単体の寺院であるのに対し、全部で5つの門を構えるこの都城内には、中央に十文字を描くメーンストリートが走り、中央に仏教寺院のバイヨン、そして主に北西の一角を中心に王宮跡や出陣の際に利用した「象のテラス」や、レリーフで埋め尽くされた「ライ王のテラス」、ヒンズー寺院バプーオンなど、さまざまな建造物が点在している。木造だったがゆえにその姿はもはやないが、その他の場所には多くの民が住み、最盛期には10万人が暮らしたという。まさに大都市だったのだ。

なぜこれほど広大な都城を造ろうとしたのだろう。それは度重なる隣国チャンパの攻撃に耐えるためだった。1177年にチャンパの侵攻を受け、存亡の危機に陥ったクメール王朝(アンコール王朝)を救ったのはジャヤーヴァルマン7世(在位1181~1220年頃)。王は外敵の襲来から都を守るため、高さ8mの城壁と外周12kmの環濠で囲まれた、巨大な都城アンコール・トムを建設したのだった。

都城の中心に位置するバイヨン。日本国政府の遺跡救済チームなどによる修復も進んでいる

その中心にある仏教寺院バイヨンの見どころは、四面塔だ。二重の回廊に囲まれ、高さ45mもの中央祠堂(しどう)をもつバイヨンには、50以上もある塔の4面に人面が彫り込まれているのである。人面の数は180近くに及ぶ。描かれた人面は、観音菩薩ともヒンズーの神とも、王の顔ともいわれる。いずれにせよ、「バイヨンの微笑み」といわれる四面塔に刻まれた尊顔は、どれひとつと同じものはない。微妙に表情が異なる尊顔のせいか、この寺院にいると、あまたの仏や神に見守られているような安心感を覚える。

13世紀末にこの地を訪れた元朝の使節団の記録では、四面塔は金色に輝いていたと書かれている

> 三島由紀夫の心をかきたてたアンコール・トム
1  2  3  4  5

JAGZY OWNERS

↑このページのトップへ