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マチュ・ピチュ「アンデスの至宝」! 鉄器も重機も持たないインカ帝国の人々の英知の結晶

 小野 正惠
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今回のコラムで取り上げる世界遺産は、ペルーのマチュ・ピチュ。雑誌やテレビ番組の「行ってみたい世界遺産」などのランキングでは、エジプトのピラミッドやカンボジアのアンコール・ワットと並んで必ず上位に入る遺産だ。アンデス山中の高所に築かれ、麓からは姿が見えないために「空中都市」と呼ばれる都市遺跡は、インカ帝国の人々の英知の結晶である。 [写真=photolibrary]

アンデス文明のつかの間の輝き

現在(2015年3月時点)、ペルーには、南米ではブラジルに次いで多い12の世界遺産がある。アンデス山脈が南北に貫く国だけに、ペルーの世界遺産はアンデス山脈周辺にあるものが多い。その中でも「アンデスの至宝」と呼ばれるのが、マチュ・ピチュ遺跡だ。「天空の都市」「謎の空中都市」などの魅力的なキャッチフレーズで、多くの人を魅了し続ける遺跡である。

険しい山の上、標高2400mの地点に広がるマチュ・ピチュは、インカ帝国が築いたということは周知の事実。では、そもそもインカ帝国とはいかなるものだったのだろう。

アンデスの地に人類が住み始めたのは、およそ1万2000年前。紀元前3000年頃には神殿が造られはじめ、以後、1533年にスペイン人に征服されるまで、アンデスではチャビン、モチェ、ティワナク、ナスカなどの文明が乱立した。その最後を飾ったのがインカ帝国だ。

ペルー南部の小国だったインカは、15世紀半ばに北上を開始し、15世紀末にはアンデスの統一を果たす。クスコを首都としたその地図は、南北およそ5000km。現在でいえばコロンビア南部からチリ中部あたりまで。実に、日本の約8倍の領土を持つ大帝国となったのである。

インカ帝国の首都クスコは標高3500m。帝国滅亡後、町はスペイン風に造り変えられた

国を治めたのは、神格化され、絶大な力を持つ皇帝。最盛期には1000万人以上の人口を抱え、その文明は極めて高度だったといわれる。文字こそ持たなかったが、「キープ」と呼ばれる組ひもで人口や収穫高などを記録。現在でいう国政調査も毎年行われた。発掘された頭蓋骨から、高い医療技術を持っていたことも分かっている。

また、古代ローマ帝国が領土内に街道を張り巡らしたように、総延長4万kmにもわたる「インカ道」も整備。物資は言うに及ばず、皇帝からの伝達事項も、インカ道を通じて各地にすみやかに伝えられた。色柄のバラエティー豊かな織物、精緻な黄金製品などの工芸品にも、その技術水準の高さは見て取れる。

マチュ・ピチュの遺跡からもインカ道が伸び、途中には崖にへばりつくような橋もある。敵の侵入を防ぐため、板は外せるようになっている

しかし、栄光はつかの間だった。帝国の繁栄は、わずか1世紀ほどしか続かなかったのである。

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