IEDAN 07×齋藤峰明(シーナリーインターナショナル株式会社 代表)
自然との共生、安全、清潔、健康的な暮らし。
日本の生活様式が生みだした美と精華を、世界へ。

IEDAN
家を楽しむ、家族と楽しむ。
人生に、仕事に、こだわりを持ってまい進するのはもちろんのこと。
家という空間が好きで、家で過ごす家族との時間を大切にしたいという男たち。そんな新しい男性像をGENUINはIEDAN【イエダン】と名付けました。

日本のモノづくりの文化に、あらたな息吹を

19歳で日本を飛び出してパリに渡った齋藤峰明さんは、花の都で刺激的な20年間を過ごした後、40歳でエルメスジャポン営業本部長に迎えられる。のち社長として、日本のエルメスを大きく成長させた10数年を経て、8年前、再度パリに拠点を移し、現在は日仏を往来する日々を送っている。

パリに戻ったのはエルメスのフランス本社副社長を務めるためだった。多くを学んだこの会社に恩返しもでき、次世代に任せる道筋もつけ、いよいよ自分がすべき仕事を実現するため、今年から新しい活動を開始している。

そのひとつは、日本の伝統芸である緻密で質の高いモノづくりの成果に、現代の暮らしにふさわしい創意工夫を重ね、広く世界に提案するという活動だ。

「京都や金沢に卓越した工芸があるのは、それを使う公家や大名がいて、道具も装飾も豊かに磨かれてきたからですね。古都のみならず日本各地には千数百年来の生活様式から生まれた技術や産業があります。明治以降、日本も西洋風な暮らしへ一変したとはいえ、G7(先進7か国)の中で西洋文化でない歴史を持つ国は日本だけです。今、世界から日本の暮らしは高く評価されている。こうした状況を背景に、今ならまだ日本の伝統産業を絶やさず残せると考えてのことです」

具体的には、丹後の織物などを古典としてではなく、あくまで現代的な価値あるものとして提案する。そのために内外のデザイナーやクリエイターと組んで産地に出向く。一方で、世界の良いものを日本に紹介する活動も行う。この写真を撮影した東京の“イグアナアイ青山本店”では、素足感覚でまとう新感覚フットウェアを展開している。それは草鞋(わらじ)を履いていた日本人の足の記憶を呼び覚ますような、欧州発のユニークな履物だ。

組織名の“Scenery”(シーナリー/景観)には、日本人にとっての原風景でもある里山が映しだす、人と自然、文化と環境の健やかで良好な関係の心象風景――、そんな意味も込められている

アートに目覚め、自分はどう生きるのか。
根源的な想いを抱いて、5月革命後のパリへ。

齋藤さんがモノづくりから流通までに関わるのは、これまでの仕事を踏まえてのことだ。三越パリ時代に優れたデザイナーの仕事に触れ、続くエルメスではアトリエで職人たちの仕事を見てきて、作り手から使い手へ、モノに込められた価値を正しく伝えることの大切さを実感し、なおかつ両者の距離を短くしたいという思いもあってのことだ。

そもそも、なぜ19歳でパリへ渡ったのだろう?

「静岡県で生まれ、父の転勤で高校時代は東京でした。当時は既成概念がことごとく壊される意識革命の頃で、映画、舞台、哲学にも新しい波が生まれ、アートの分野ではハプニングや概念的な表現が一世風靡した時代です。通っていた都立青山高校は学園紛争が盛んで、高校3年生の時、半年間かけて創作してきたアート作品を発表する文化祭が学園紛争で中止になり、機動隊も入ってくるような騒ぎに。若いなりに、アートで社会を変えられると思っていましたから、虚無感もあって高校卒業後は海外に出ようと決心。アメリカも考えましたが、若者革命の発信地はパリであり、実存主義やゴダールのヌーヴェルヴァーグ映画にも魅せられて、しばらく仏語を学んでから渡仏しました。両親は心配しなかったですね。芸術に理解があり、父は教育者で長唄もし、母は茶道や花を教え、いろいろな人が出入りする文化サロンのような家でしたから」。

パリに行ったものの、すべてが自由でどこにも属さず、漂泊者のように暮らすのは大変だったという。人は社会と繋がっていないと意味がないと考え、一念発起して大学の芸術学部へ。絵画や彫刻の実技も美術史も学んで有意義な時を過ごすうち、大学はストで休校が多くなり、パリにできたばかりの三越の旅行会社でアルバイトを始める。日本からの観光客を案内したり、三越で開催されるアート展の交渉などを手がけたりして、やがて正社員となり、パリでの20年間が過ぎていった。

家は魂。住む人がいて命が吹き込まれる。

世界を舞台に仕事をする齋藤さんはまた、私生活を楽しむ家庭人でもある。そこには人並みにいろいろな喜びも苦労もある。

「以前、パリ郊外に古い大きな家を手に入れ、ほぼすべて自分で改築して家を造ったことがありました。週末ごとに出向いてはセメントをこね、大工仕事もし、階段の設置などはプロや近所の人に手伝ってもらって、10年かけて完成させました。家族のためにとやっていたことが、家造り自体に没頭し過ぎて家族にあきれられ、本末転倒でした(笑)。

広大で優雅な家に住めばいいというものではなく、家族がいて、居心地がよければそれでいいんです。子育てでも、僕はこうしたい、というイメージが先行しがちな親でしたが、子供は自然にすくすくと育ち、互いに人格を尊重できるようになりました。父親としてたいしたことはできなかったかもしれませんが、健やかに育ってくれた子供や家族に感謝しています」

現在は、パリ郊外の古い農家を改装した美しい家に住んでいる。「昔、馬用の納屋だったスペースもあり、今はそこをリビングの一部にしています。昔の反省から、なるべく簡素に、手を加え過ぎず、昔の良さを残しながら快適な家にしています」。

「人は24時間、自分自身として生きています。仕事をしている時も自分の時間です。自由な時間に自分の好きなことをする、とよく言いますが、それでは時間が少なすぎませんか。エルメスの社員にも伝えていたことですが、仕事も自分の時間だと自覚し、自分の好きなことをして自己実現すべきです。それがいい仕事にもつながると確信しています」

フランスと日本で暮らし、家庭と仕事があって、いくつもの人生を生きてきたような感覚があるという。

「永遠には生きていられません。だからせめて次世代には良い景観や環境を残したい。そのために、できることをやっていこうと思っています」

少年期に過ごした里山、アートを目指した10代、最良の物を扱いながら世界規模の仕事をしてきた時代があって、今、描きだされる齋藤さんの心の景色がある。

Mineaki Saito

1952年、静岡県生まれ。高校卒業後渡仏し、パリ第一(ソルボンヌ)大学芸術学部へ。卒業後フランス三越に入社、後に三越のパリ駐在所長を務める。40歳でエルメス本社に入社。エルメスジャポン社長として東京・銀座のメゾンエルメスの設立などに尽力。2008年から2015年夏までフランス人以外で初めての本社上席副社長を務める。現在、「アトリエ・ブランマント(パリ)」の総合ディレクター、ライカカメラジャパン株式会社取締役、立命館大学客員教授、パリ商工会議所仏日経済交流委員会理事などを務める。趣味は音楽・美術鑑賞、読書、旅行、サッカーなど。フランス共和国国家功労勲章 シュヴァリエ受章。
http://www.scenery.co.jp/

イグアナアイ青山本店
東京都港区南青山5-6-14
Tel.03-6427-2703  www.iguaneye.jp

Text
:by Misuzu Yamagishi
Photography
:by Yuji Hori