IEDAN 02 × 牛山 大(ハリウッドビューティサロングループ 代表取締役社長)
「家族の歴史を伝えたい」時の重みを感じ、育まれる家の歴史。

IEDAN
家を楽しむ、家族と楽しむ。
人生に、仕事に、こだわりを持ってまい進するのはもちろんのこと。
家という空間が好きで、家で過ごす家族との時間を大切にしたいという男たち。そんな新しい男性像をGENUINはIEDAN【イエダン】と名付けました。

祖母の変化を恐れず楽しむ姿勢は
さすがだなと尊敬したものです。

「テラスでは、美容に関係する植物をオーガニックで育てています。サロンの若いスタッフたちに、たとえばフレグランスに使われるラベンダーはどんな花か、ハーブティーにするレモングラスはどんな植物か、本物に触れながら学んでほしいと思うからです」

緑あふれるサロンのテラスを見渡しながら、牛山大さんは静かに語り始めた。ここは、六本木ヒルズ・ハリウッドビューティサロン。牛山さんの祖父母である、牛山清人・メイ夫妻が1925(大正14)年に設立した日本で初めての美容室である。牛山さんはサロンの代表取締役をはじめ、化粧品や美容学校などハリウッド・グループのCSR事業を手がける。また自治会幹事として、ヒルズを含む六本木エリアの地域活性化にも取り組んでいる。

「ここはまさに、僕が生まれ育った場所。待ち合わせなどに使われる、クモの彫刻(巨大クモ・ママン)の辺りが、ちょうど本籍地なんですよ(笑)」祖父・清人氏はハリウッドで俳優として活動し、早川雪洲やチャールズ・チャップリンのアシスタントを務めた。しかし当時のハリウッド映画では東洋人の役が少なく、チャプリンに「ウシヤマは手先が器用だから、メイクの仕事をしてみたら」と勧められたことが、転身のきっかけとなったという。

「当時の同僚に、ポーランド系移民のマクシミリアン・ファロッツィという男がいたそうです。いつも片言の英語で『Make up(もっと表情を)!』と繰り返していた口癖が、のちに化粧を表す『メーキャップ』という言葉になった。そんな彼が後に起こした会社がマックス・ファクターだったりと──本当に、あの時代のビジネスの話は映画よりもドラマチックですね」はつらつとした着物姿とお団子ヘアでお茶の間でも有名だった祖母のメイ氏は、96歳で亡くなる直前まで現役の美容家として活躍し、このサロンにも毎朝顔を出していた。

「祖母にとっても思い出の場所ですし、もとの自宅にはガーデンパーティーができるような広い庭もあった。ヒルズの計画がいよいよスタートするとき『庭がなくなっちゃうのは、寂しくない?』と尋ねたのですが、祖母はきっぱり『時代はどんどん変わるもの。変化を楽しめるようでなきゃ、ダメよ』と。90歳を過ぎても、変化を恐れず楽しもうとする姿勢は、さすがだなと尊敬したものです」

"物"は一瞬でなくなる。
残すべきもの、大切なものはもっと他にある。

会社と自宅が近接していた環境もあってか、牛山家では幼い子どもも大人の世界にまじって生活するのが自然のことだったという。3世代の家族が一緒に囲む食卓は、ビジネスや政治、経済、先端の流行や文化までさまざまな会話が飛び交っていた。

「うちにはテレビがなかったのですが、大人たちの会話で十分にぎやかでしたね(笑)。また子どもの僕が発言をしても、ちゃんと聞いて議論に加えてくれる。幼い時から一人の個人として扱われたことで、大人としての自覚も早くに育まれたように思います」

そうして大きく社会を俯瞰する視点を得た牛山少年は、中学1年で「自分は環境問題と地域貢献の専門家になる」という目標を立てる。日本の大学を卒業後、アメリカで環境デザインを学び、ブルックリン・チルドレンミュージアム、国連などで社会貢献型のデザインディレクションを担当。ブルックリンで結婚し、仕事、プライベートともに充実した日々をNYで満喫していたという。

「大きな転機となったのは、2001年にニューヨークで起きた911テロです。いわば目の前で、このヒルズや都庁のようなモニュメンタルな建物が消えてなくなった。その衝撃は自分の人生観、哲学観を根底から変えるに十分でした。"物"は一瞬でなくなる。残すべきもの、大切なものはもっと他にあるだろう──そんなふうに考えたことを覚えています」

六本木ヒルズでの新しいサロン・社屋のオープンが近かったことから、帰国のタイミングに合わせて、本格的に美容の事業へ参画することに。

「あらためて会社の歴史を学ぶなかで美容という仕事を考えると、美容が世界共通で貧困層の女性の社会支援になることもわかりました。人間はかならず伸びる髪を切りますし、人生の節目の儀式では美粧が重要な役割です。技術さえ学習すればハサミ1本で自立できるのは途上国の女性の社会支援にもなりうるのです。現在でもハリウッドグループでは、カンボジアや中国の女性支援を美容から行っています」

また創業から一貫して国内生産を続け、動物実験ゼロという姿勢を保ち続けていることも、「自分が学んできた環境問題と重なり、非常に誇らしく、またやりがいを感じています」と語る。もう一つ、自分の人生観を大きく変えたのが、子どもたちの存在だと牛山さん。

「NYに居た頃は、注意してはいましたが、それでもかなり危険な目には遭いました。向こうに住んでいた 10年の間にホールドアップ3回、車の襲撃1回、銃撃戦もテロもありました。特殊部隊が街にいるのが映画かと 思ったら本物だったことも何度もありました。でも帰国して子どもが生まれたとき、変な話ですが、『これはもう簡単に死ねないな』と思いました」

家族の歴史を子供に伝えたい。
受け継がれ、新しい芽を伸ばしながら育まれる家の歴史。

子育てで大切にしていることは、一つにはリアルな体験。たとえば幼稚園で「太鼓のオモチャで遊んできた」と子どもから聞いたら、「じゃあ太鼓を作っているところへ行ってみよう!」と。職人さんが実際に和太鼓を作っている様子を見せてもらい、話を聞いて、実際にたたかせてもらう。車を車検にだしても、わざわざ子ども連れて行き、子どもと一緒に整備士がエンジン開けたりするのを見せて、社会のつながりを体験するようにしています」

どんな物にもサービスにも、人の手が加わり手間ひまがかかっていることを知る。そうして社会と自分とのつながりを意識させたいと、牛山さんは語る。

「もう一つが、家族の歴史を伝えたいということ。牛山家のことは、祖母が亡くなる前に根掘り葉掘り"取材"して、ブログにメイ牛山の言葉として発表していました。最後は、病院のベッドまで押しかけてね(笑)。でも、本当に聞いておいてよかったと思っています。また母方の祖父が、実は広島で原爆を体験していたことを最近になって知りました。残された手紙の住所から推測したことなので、今後、機会があれば彼の足跡も調べてみたいと考えています。子どもたちが興味を持つ年齢になったら、一緒に広島も歩いてみたい」

そういえば──と言いながら、銀製の古風な名刺入れを取り出した牛山さん。それは、建築家だった祖父が大学の入学祝いに曾祖父から贈られたものだという。「入学した日の年号が刻まれた内蓋から、その後の祖父の人生や、人生観も伝わってくるような気がします」脈々と受け継がれ、新しい芽を伸ばしながら育まれる家の歴史。時の重みを、軽やかに楽しむ人がここにいる。

USHIYAMA DAI

六本木ヒルズ・ハリウッドビューティサロングループ代表取締役社長。
東海大学海洋学部気候変動専攻卒業。NYのPentagram Designを経て、Brooklyn Children's Museum、国連プロジェクトのブランディングデザイン等担当。児童養護施設支援NPO法人ブルーフォー東北副代表理事、途上国支援NPO法人コペルニク創業メンバー、港区福祉協議会会員。

Photography
:by Michinori Aoki
Text
:by Mary Yamada