平成の小堀遠州、北山安夫さんに導かれた日本庭園の魅力(後編)

8年前、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で出会って以来、日本庭園に対する考え方をガラリと変えられた京都・建仁寺の潮音庭(ちょうおんてい)。前編では、この静のパワーに満ちた庭を作った平成の小堀遠州とも称される庭師、北山安夫さんを訪ね、日本の庭の本質と北山さんの日本文化観について伺った(記事を読む)。 後編では、これまで北山さんがどんな思いで庭を作ってきたのか、そしてこれからの庭づくりをどう見据えていらっしゃるのか、伺った。

200年後を見据えて、今を生きる

住吉「北山さん、お会いしない間に大きな事故に遭われていたとお聞きして、驚きました。本当にご無事でよかった。この事故の経験は、40年の庭師人生の中でもかなり大きい転換点になりましたか?」(1年半前、浜松で15mの滝を作っていて、8mのところから転落。左親指を切断する大けがを負った)

北山「なりました。65歳になって事故に遭って、あ、自分は死ぬんだなと一瞬思いました。そのあと、こうして元気に社会復帰ができて、自分の考え方、行動が変わりましたね。これまでは、自分が頑張ってきた、自分でここまでやってきたという思いが強かったんですが、あの事故からは『生かされている人生』だと思うようになりました。死んでもおかしくないような状況で生きられたということは、『あぁ、自分は社会に生かされてもいい人間になれたのかな』と」

住吉「作る庭も変わってきましたか?」

北山「本質的には変わってくるんでしょうね。これで変われなかったら、なにで変われるんだと思いますね。これからの庭づくりの中に、なにが変わったのかが表れてくるんだと思います」

住吉「そもそも、これまで、いくつぐらい作庭されてきたんですか?」

北山「あまりはっきりは数えていないですが、世に残っているものであれば35〜40くらいですね」

住吉「年に1つできるかできないかですから、ひとつひとつの庭が大事ですよね」

北山「大事ですね。自分が歩いてきた道の道しるべですからね」

初夏のさわやかな風が舞い込むなか、
高台寺・湖月庵(こげつあん)にて行われたインタビュー。

住吉「今、40年されていて、庭師として完成してきている感じはありますか?」

北山「自分の中ではゼロか100だと思っています。そう意味でいったら、ゼロですね。まだまだ」

住吉「この先、こういうことをしたいという野望はありますか?」

北山「いちばん湧いてくるのは、自然界に受け入れられるものを作っておきたい。200年、300年後に受け入れてもらえる庭を作りたいです」

住吉「200年! たしかに、建仁寺のお庭自体はまだ10年あまりですけど、建仁寺自体は1202年に建立されていますものね」

北山「そうです。高台寺も1606年に建立されています」

住吉「高台寺では、とても古いお庭の修復もされていますよね?」

北山「そうです。1600年代の小堀遠州の庭ですね」

住吉「修復というのは、どの程度手を入れられるんですか」

北山「こわれ具合にもよりますけど、いちばん大事なのは小堀遠州になり代われるかってことですね。それを知るためには、その時代ってどんな生活をしていたのだろうということを考えることですね。その時代に生きた人の平均身長とか、当然、着物しか着ていないですから歩幅も違いますよね」

方丈前庭(ほうじょうぜんてい)/高台寺の方丈(本堂)と
勅使門の間に位置する、枯山水の庭。

住吉「何百年も続く庭を修復される場合、その当時の生活様式を考えて修復する手もあると思うんですが、一方で、時代は進んでいるし、私たち人間も変わっているのだから、今の生活に合わせて変えればよいのでは、という考え方もあると思うんです。そうならないのは、なぜですか?」

北山「それをやると、1年目の庭と変わらなくなってしまう。小堀遠州の作った庭とはいえないんです。修復というからには、その当時の庭をきちっと再現することが大事なんです。今の生活に合った庭は、自分がゼロから作る北山安夫の世界でやればいい。そして、それを200年先に残せばいいんです」

庭づくりは、人づくり
1  2  3  4